文学賞への応募完了
先月末に応募締切だった文学賞に応募しました。
私自身、初めて書き終えた長編小説だったこともあり、終わってよかったなというのがまずあります。
しかし、内容については現行倫理ギリギリだったと考えており、そこから世に何かを著すことの責任やその中で自身の伝えたいことに対して
どれほど忠実であるべきかという線引きに悩みました。ちょうど最近の寒暖差で体がやられていたのもあるかもしれませんが、そんなことを
考えていると呼吸まで狭くなる感じがして、ただ書けばいいというものでもなく、その内容の重さに比して責任も伴っていくんだなと実感しました。
娯楽や読者の期待に応えたものを書く場合はそのような痛みは伴わず、分析して想像して容易に受け取られるだろうものを書けばよく、その際には
こういった葛藤は起こらないのだろうけれど、そこも真摯になれば読者の期待に応えるという責任に苛まれることにもなるだろうし、今回の私の感じた
葛藤とは種の異なるものなのでしょう。拒絶されないだろうか/喜ばせられるだろうか、という構図。
世に著されたとして、おそらく拒絶や批判は免れないだろうと想像した時、世と私の接続が無くなる感じ、私が天涯孤独になる感覚を受けて怖くなりました。
私が普通の人間で当然世に受け入れられるだろうという絶対安全基盤を失う感覚、おそらく著名人の方々が世の人から数多くの誹謗中傷を受ける時の感覚とは
こういったもの、それだと失礼なのでそれ以上なのだろうと思いました。人間のこの美よりも醜を強く受け止めてしまうバイアスなんなんだろうな。(世には当然、
受け入れてくれる人もいるはずなので、全員が敵だとか世に我独りだとかはないはずなのだが……)
なぜそこまで重い内容になったのかと問えば、それは重い設定の人間を主人公に据えてしまったからであり、それが現実でも存在するだろう誰かだった為、
軽く書けなかったし書く気もなかったからだろうと思う。苦境の人間が再起しようとあがく話であり、そのあがきの描写を軽く書くことは現実に存在する
似たような誰かへの敬意が私に存在しないことを意味する。そういう意味で、その重たい人間に引きずり込まれるような接近性で書く必要があったと思う。
幸いにも、そのような軽さの無い描写で全編書き貫いたと思うのですが、それは読者にとっては苦行だと思います。実際、私も書いている時に感情移入し過ぎて
呼吸が苦しくなり、怖いなと思いました。
この経験は河合隼雄先生の言っていた、他者を理解することは生半可なことではなく引きずり込まれるくらいの覚悟をしなければならないといった趣旨の言葉の
意味を実感として私に与えましたし、またブーバーの言っていた汝-それ関係の意味はだいたいそういうことなのかなと思いを馳せるきっかけともなりました。
文学賞に応募した以上、受賞することは嬉しいわけですが、過程に意味はなく結果だけが大事というのならば、ここまで書いてきた思いや実感も意味がないという
ことであり、それは寂しい価値観であるなと改めて感じました。だめで元々やってみることが別の何かにつながる場合があるし、結果という自身にとって予測可能な
ことばかりを希求するのではなく、その過程で偶然得るかもしれない知見に心を開いておくことも大切なのではないかと感じます。操れないことがデフォルトで、
それでもなお偶然自分の思い通りになることがあればその時は素直に喜んでおけばよいかという感じです。
ということで、後は運命に任せます。受賞すれば当然嬉しいだろうけど、責任を思えばいやーな感じです。もうなんでもいいや。